仲島茉莉子

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仲島 茉莉子さん(旧姓:谷本)
拷問の末、殺された仲島茉莉子さん(旧姓・谷本 茉莉子さん)
拷問の末、殺された仲島茉莉子さん(旧姓・谷本 茉莉子さん)

仲島 茉莉子(なかしま まりこ、1982年 - 2008年)とは、高松市の谷本一家の長女である。角田美代子一味により殺され、尼崎市の祖母・皆吉ノリさん(87)宅の床下から遺体で発見された。

実妹は、後に角田の実子と結婚することになる谷本瑠衣。叔父は同じ場所で遺体で発見された、谷本隆さん(68)である。

母親の兄の妻の連れ子が、韓国籍の李である。従兄弟だが谷本家と血縁関係はない。

生涯[編集]

仲島茉莉子さん(1982年生まれ旧姓谷本)

  • 小学生の頃 絵本作家を目指す夢のある少女
  • 社会人になって高松市のIT会社に勤める。優秀さを発揮し、デザイナーのエースに
  • 2002年初め「英語を勉強して、海外で働きたい」と休暇を取り英国語学留学
  • 2002年11月帰国
  • 2003年2月角田美代子が乗り込んでくる
  • 2003年4月会社を辞め角田美代子に尼崎に連行される
  • 2007年角田マンションに同居していた仲島康司という沖縄出身の男と結婚させられる
  • 沖縄逃亡
  • 2008年角田に見つかって連れ戻され暴行されて死亡(享年26歳)

暗転[編集]

角田 美代子

谷本一家は裕福で高松で保険代理店を経営し、マイホームの他に田畑等を持ち、地元の住民の話では上昇気流に乗っており、幸せな家庭を営んでいた。家族構成は、夫婦、姉妹の4人家族で、長女は英国に語学留学の後、IT企業に就職、ウェブデザイナーになることを夢見ていた。また上司の言うところによると、会社では非常に優秀で、デザイナーのエースだった。また次女は県内有数の進学校に通い、成績優秀で、運動神経も非常によく友達も多かった。

しかし、角田美代子達と接点を持ってから、運命は暗転する。

事の始まりは、2003年2月、かつて谷本家でも過ごしたことのある遠縁の李正則(谷本妻の兄の妻の連れ子)を、角田美代子に執拗に頼まれて、「更生のため」として一時預かりを引き受けたことだった。茉莉子・瑠衣姉妹にとっては従兄弟にあたるが血縁関係は無い。野球の上手い従兄弟という印象を持っていた。

李正則は素行は不良で、常に暴力をふるい、金銭を盗むことは日常的でT家のお金を500万円も使い込んだ。また次女の瑠衣を強姦したりもしたため、業を煮やした谷本夫は、李正則を角田の元に返したが、それが角田が谷本家に付け入るきっかけとなった。

角田の乗り込み[編集]

茉莉子さんと瑠衣被告

角田は李を追い出したことに「抗議」するため、2003年4月、やくざ風の若い衆10人ばかりを引き連れて、谷本家に乗り込んできた。あまりの剣幕と気勢、そして多少の弱みもあったため、谷本誠さんは話し合いのため、角田美代子達をとりあえず家の中にあげてしまったが、あっという間に主客転倒し、角田美代子らは谷本家に以後ずっと居座り続け、暴行などあらゆる狼藉を繰り返し、谷本家を完全に支配下に置いてしまった。

家の中では、谷本家の家族が外部に角田犯らに勝手に助けを求めにいくことを防ぐため、家の扉には外部から暗証番号式の鍵がかけられ、また服を脱がされ全裸にされ、食事は無論、大小便の回数まで制限され(排泄は1日に2回以下)、何をするにも角田美代子の許可が要るようになった。やがて食べ物も水(水は一日500mlに制限)も満足に与えられず、夫は裸のまま、娘を背負って昼間に親族の家に食べ物を求めに行く姿さえ、目撃されている。

また角田美代子達は自らも暴力は振るったが、事件化を恐れて控えめで、なるべく家族達を脅して相互に争わせることに注力した。最初に取り込まれたのは、姉妹(茉莉子当時21歳、瑠衣18歳)で、彼女達を屈服させるために暴力は勿論、全裸で街中を駆け回らせるような羞恥の極み的な手法が用いられた。

結果的に彼女らは本意ではなくも、角田美代子達の理不尽な言いつけを聞くようになり、ある日は次女の瑠衣が泣きながら「お父さんごめん」と言いつつ、顔が腫れ上がるまで殴り続ける光景が目撃されている。

またある日は、角田美代子の部下達何人もに、T夫婦が水をかけられており、こうした光景を呼び出されて見学させられた親族らは、「情けなくてつらくて、ノイローゼになるかと思った」「あの当時は地獄だった」と振り返る。時には、夫婦で共に全裸のまま親族宅まで金を借り行かせられることもあり、ある日は谷本誠さんが殴られて形も留めぬほど、耳の外観が変わってしまった姿を見られており、あまりに沢山の血を流しながら歩いていた、と近隣の者が証言している。

またある日は谷本さんの妻が裸で正座させられているのを近隣住民が見かけており、こうした手法で、角田美代子らは谷本家の全財産に加えて、親族らから現金二千万円を巻き上げ、当然ながら、谷本家の稼業も廃業になり、長女・谷本茉莉子は後述する尼崎移転後は大阪営業所に転勤したが、すぐに退社、次女・瑠衣も高校を退学した。

尼崎への連行[編集]

茉莉子さんと瑠衣被告
殺害された谷本誠さんの兄・谷本 隆さん

こうして、すっかり取るものを取りつくしてしまった角田らは、谷本の長女・茉莉子と次女・瑠衣を連れて尼崎に引き上げたが、谷本の妻は、ショックと心労で一時和歌山まで逃亡する。程なくして高松の実家に戻ったところで、また暴行を受け、倒れて通行人に発見されるが、脳挫傷を負い入院、急性肺炎にかかり死亡する。

同じく、谷本家の妻方の祖母・皆吉ノリさん(87)とその長男である叔父、叔母も相次いで角田美代子らに襲われ、皆吉ノリさん(87)は監禁され、虐待死し、叔母も行方不明に、叔父は東京まで逃亡して病死している。この皆吉さんの家の床下から3人の遺体が発見された。

また引き揚げる際、茉莉子は「新天地で心機一転、やり直すことにしたの」と同僚に説明し、事件のことは「聞かないで」と友人にさえ隠していた。やがて、彼女は角田美代子に命令されて、「上納するから」と友達からお金を借りて回るようになり、その後職場を退社。角田美代子らと同居していた一味の仲島康司をあてがわれて結婚、入籍、改姓するが、やがて角田美代子と他の誘拐家族らから凄惨なリンチを受けるようになり、最後はベランダの犬小屋大の小屋に押し込められ、鍵を架けられて冬場でも全裸でそこで起居した。冬場に水をかけられる光景も目撃されており、最後はリンチの末に屋外の小屋に繋がれて虐待死した。仲島茉莉子は顔面を数限りなく殴打され、また足で踏みつけられ、瞼には煙草を押し当てられ、死亡時には容貌は形が全く分からないほど変わり果て、写真を見せられた父親の谷本誠さんは慟哭した。

一方で、取り込まれてしまった次女・瑠衣は角田美代子から好かれて、「跡取りにしたい」と言われるようになり、自身も角田美代子の養女になることを希望して、改姓、さらには角田の実子の一人息子と結婚する。角田息子と次女との間には、二人の子供が生まれている。

以後、次女・瑠衣は角田美代子の犯行の先棒を担うようになり、2012年、窃盗罪で逮捕された。他方、高松の谷本夫も身の危険を感じて家を出て、友人宅に一年間引きこもり、自身の受けた被害を警察に打ち明け、捜査を願うも、どの警察署からも相手にされず、「蜂の一突き」を願って偽名を使い、主犯らの近所に潜伏した。また、谷本夫の兄・谷本隆さん(68)も「弟が心配」と40万円を持って出向いたところを、他の被害者らと同様に監禁され、殺害されて埋められており、警察はその家族の捜索願を受理しながらも、捜査をしようとはしなかった。

角田美代子は2012年12月12日に、留置所にて自殺している。この自殺によって、捜査は困難を極め、事件の真実は闇に。

事件報道[編集]

捜索の住宅床下から2遺体(2012年10月)[編集]

兵庫県警は10月14日、殺人容疑で家宅捜索していた同市内の住宅の床下から遺体を発見した。

遺体が発見された民家は木造平屋の長屋で、約50年前に夫婦と子供計6人の家族が借り、暮らしていた。約10年前、2人暮らしになっていた皆吉ノリさん(87)とその長男(69)が行方不明になった。長男は角田の知人で、その後、角田と一時同居。現在は別の場所で暮らしているが、皆吉ノリさんの行方はわかっていない。

大江さんを殴り死亡させたとして、傷害致死罪などで起訴された角田美代子(64)の自宅に出入りしていた人のうち、男女数人が行方不明となり、家族が捜索願を出していたことも判明。さらに最近になって、角田の関係者から「尼崎市内の民家に複数の遺体があると聞いた」との情報が得られた。県警は事件に巻き込まれた可能性が高いとみて、捜査している。

捜索先の住宅には、角田の義理の娘・瑠衣(27歳。窃盗罪で起訴)の祖母が、約10年前まで息子らと暮らしていた。その後、祖母の行方が分からず、瑠衣のおじに当たる祖母の次男も2007年ごろから行方不明となっていた。またそれ以外に4人の男女が行方不明になっている。

義理の娘・瑠衣は、角田とは戸籍上の関係で血縁はない。角田と血縁のない戸籍上の関係の義妹(59)とともに祖母や叔父(69)の口座から年金を不正に引き出したとして、神戸地検尼崎支部に窃盗罪で起訴されている。

捜索は13日に始まり、14日昼ごろ、住宅の床下の土の中から、うつぶせの状態で埋められている遺体を発見した。着衣はなく、白髪まじりで女性とみられる。目立った外傷はなく、両足の一部が白骨化していた。

2人目の遺体は1人目から約2メートル離れた場所で全身が白骨化した状態で見つかり、黒髪で、性別は不明という。

いずれの遺体も死後1年以上経過しているとみられ、県警は司法解剖するなどして身元の確認を急ぐ。また、2遺体の周辺から複数の小さな骨片が見つかっており、人骨かどうかも調べる。

異常な犯行経緯から注目を集めた事件が、角田を中心に、さらなる広がりを見せ始めた。

10年間空き家[編集]

2遺体が見つかった民家は、阪神電鉄杭瀬駅(くいせえき)の南東約100メートルの住宅街に建つ古い平屋建て。夫に先立たれた皆吉ノリさん(87)や60代の長男らが生活していたが、皆吉ノリさんは約10年前から所在不明になっている。

地主の女性(81)は、皆吉ノリさんが姿を消した後、「次男が地代を支払いに来ていた」と説明。しかし、ここ数年は「孫を名乗る女性」に代わっていたといい、皆吉ノリさんの孫で、美代子の息子と結婚した角田瑠衣(27)が支払いに訪れていたとみられる。

住民によると、皆吉ノリさんの長男の妻の連れ子が、美代子と同居していた戸籍上のいとこ・李正則で、大江さんの事件で実刑判決を受けた。

3人目の遺体発見[編集]

茉莉子さんと瑠衣被告

兵庫県尼崎市の民家から3人の遺体が見つかり、ほかにも多数の行方不明者が出ている事件で、民家で発見された男性の遺体の死亡推定時期は2003年頃だったことが、県警への取材でわかった。

男性は高松市に住んでいた2人姉妹の伯父・谷本隆さん(68)とみられ、この時期は、姉妹の長女・仲島茉莉子さん(29)が、ドラム缶遺体事件の主犯格・角田美代子らに連れ去られたのと同じ頃に当たる。県警は、仲島茉莉子さんを心配して付き添ったとされる谷本隆さんが高松市を離れて間もなく死亡し、遺棄されたとみて、経緯について角田の周辺者から詳しく事情を聞く。

仲島茉莉子さんは民家の住人・皆吉ノリさん(87)の孫で、10月14日に見つかった女性2遺体のうちの1人とみられる。この遺体は、2008年頃に死亡したと推定されている。

仲島茉莉子さんは、家族とともに高松市内で暮らしていた約10年前、角田ら数人に、夜中などに連日自宅に押しかけられるようになった。角田らは数か月間居座った後、仲島茉莉子さんと、後に角田の実子と結婚する妹の角田瑠衣(27)を連れて出て行った。伯父はその際、姉妹を心配して同行したとされ、それ以後、行方がわからなくなっていた。

高松市で仲島茉莉子さんが勤務していた会社の関係者によると、仲島茉莉子さんは2003年の初め頃から「家がもめている」などと言ってふさぎ込むようになり、同3~4月頃、「大阪に行く」と打ち明け、高松市を離れた。4~5月頃には、同社の大阪営業所で2週間~1か月勤務したが、すぐ退職したという。

男性の死亡推定時期は、ちょうどこの時期に当たり、県警は、谷本隆さんが仲島茉莉子さんらと関西に移動してすぐ、角田らと何らかのトラブルになった可能性があると判断。高松市を離れた後の谷本隆さんや仲島茉莉子さんの足取りを調べている。

一方、民家以外の場所に遺棄されたという3遺体について、角田周辺の関係者が、民家の住人女性ら3人と証言していることが、県警への取材で新たにわかった。3人には、県警が行方不明としている人以外の人物も含まれるという。逆に、行方不明者とされている角田の養子の兄の溶接工男性(36)は、これまで殺人などの被害者として名前は挙がっていないという。

これら3遺体のうち、ドラム缶に入れられて遺棄されたとされる1体は、コンクリート詰めにされて岡山県東部の海に沈められたとみられることも判明。別の1体は高松市内の民家の敷地に埋められ、もう1体は兵庫県内に遺棄された可能性があるという。

尼崎市の男性遺体、高松市の谷本さんと特定[編集]

兵庫県尼崎市の民家から男性1人、女性2人の3遺体が見つかった事件で、県警は10月18日、DNA鑑定の結果、男性を高松市の谷本隆さん(68)と特定した、と発表した。

2人目は安藤みつゑさん[編集]

兵庫県尼崎市梶ケ島の民家で3人の遺体が見つかった事件で、県警は10月19日、このうちの1人の身元を同市の安藤みつゑさん(1941年生まれ)と確認した。これで3人のうち2人の身元が確認された。安藤さんは、2011年発覚したドラム缶遺体事件で中心的な役割を果たしたとされる角田美代子の兄の交際相手で、角田らと同居していた。 

3人目の遺体は29歳女性・仲島茉莉子さん[編集]

兵庫県尼崎市の民家で3人の遺体が見つかった事件で、県警尼崎東署捜査本部は10月22日、3人目の遺体の身元は尼崎市の無職、仲島茉莉子さん(29)と判明したと発表した。仲島さんは、ドラム缶詰め遺体事件で起訴された角田美代子らとトラブルになっていた高松市の夫婦の長女。これで3人の遺体の身元がすべて確認された。

仲島さんの祖母は、遺体が見つかった民家で暮らしていた皆吉ノリさん(87)。仲島さんは高松市の実家で、両親、妹の角田瑠衣(27)らと暮らしていたが、美代子らとトラブルになった後の2003年ごろに家を出て、その後、親族らと連絡が途絶えていた。

他の遺体は、仲島さんの伯父、谷本隆さん(68)と、美代子の自宅マンションの元所有者の連帯債務者だった安藤みつゑさん(71)と判明している。

死亡の仲島さん、沖縄逃亡もわずか1日で捕まり[編集]

仲島(旧姓・谷本)茉莉子さんが平成20年ごろ、角田美代子の自宅マンションから沖縄に逃亡したが、わずか1日で美代子の周辺者に見つかり、連れ戻されていた。仲島さんはその後、暴行の激化などで死亡したとみられ、県警が詳しい経緯を調べている。

仲島さんは美代子の義理の娘、瑠衣の姉。美代子が平成15年、仲島さんの高松市内の実家に半年余り居座った後、尼崎市に戻る際に連れ出された。仲島さんはその後、美代子の自宅マンションや近くの賃貸マンションで暮らし、美代子の仲介で同居していた沖縄県出身の仲島康司と平成19年ごろに結婚。しかし、美代子の指示で日常的に続けられた暴行に耐えかね、翌20年ごろに夫とともにマンションを抜け出し、沖縄へ逃亡した。

しかし、美代子の周辺者は2人の逃亡先をすぐに沖縄と判断し、以前から把握していた仲島さんの夫の実家へ急行。わずか1日後に2人の居場所を突き止め、自宅マンションまで連れ戻したという。

逃亡を図った仲島さんに対する暴行はさらに激しさを増し、マンションのバルコニーで裸のまま水をかけられるなどの虐待も受けた。さらに、バルコニーにある小屋に数日間にわたって監禁。食事や水をほとんど与えてもらえず、衰弱して死亡した。

「音楽をやりたいって将来の夢も話していたのに……」。[編集]

茉莉子さんと瑠衣被告

兵庫県尼崎市の連続変死事件で、同市内の民家で見つかった遺体の3人目の身元は、同市の仲島茉莉子と確認された。妹の角田瑠衣はドラム缶詰め遺体事件の角田美代子側に付いていた。「仲が良かった姉妹。何でこんなことになったのか……」。知人や親族は唇をかんだ。

仲島さんの親族らによると、両親は親戚だった李正則を巡り、2003に美代子らとトラブルになった。美代子とみられる女や数人の男が高松市の自宅に乗り込み、両親を殴ったり、多額の金を要求したりした。

母親は和歌山県に逃げたが、美代子の関係者に見つかり、暴行されて入院したこともあった。そして、2011年に病死した。父親も家を出て、知人らにかくまわれながら生活した。

両親が自宅から逃げた後、仲島さんの姿が消えた。一方、瑠衣は美代子から気に入られ、「後継者にする」とも言われた。美代子の息子と結婚して子どもをもうけた。

知人によると、瑠衣は幼いころから、仲島さんのまねをしたがる「お姉ちゃん子」だった。そろばんやピアノも、仲島さんに続いて習った。知人は「お姉ちゃんに負けじと勉強でも遊びでも頑張った。周囲がうらやむ仲が良い姉妹だった」と振り返る。

親族は「(瑠衣は)美代子にマインドコントロールされてしまった」と嘆く。高校時代に仲島さんと同級生だったという女性は「何でも相談に乗ってくれる優しい子で友達も多かった。こんなトラブルに巻き込まれていたなんて。気付いてあげられず、申し訳ない」とうつむいた。

仲島さんは一家がトラブルに巻き込まれる直前の2003年1月、高松市内であった成人式に出席していた。小中学と一緒だった女性は晴れ着姿の仲島さんを見つけ、「久しぶり」と声を掛けると「元気?」と笑顔で応じてきたという。

また、親族の男性は「むごいことになった。父親がかわいそうや。娘の茉莉子と瑠衣を大事にしていたのに」とうなだれていた。

一方、瑠衣は、民家からわずか約700メートル先のマンションで、美代子らと暮らしていたが、ドラム缶詰め遺体事件の捜査の過程で、祖母の年金を勝手に引き出した窃盗罪で起訴された。

2002年8月、英国。19歳だった茉莉子さんの留学先を、17歳だった瑠衣が訪れた写真が残っている。湖水地方、チェスターの五つ星ホテル――。巡る先々で、姉妹はじゃれ合いながら写真に納まった。   2人は、高松市で保険代理店を営む父と、兵庫県尼崎市から来た母の間に生まれた。手入れの行き届いた黄や紫の花の鉢植えが庭を彩り、ピアノの音色が毎日のように聞こえる家。2階の子ども部屋で、姉妹は一緒に育った。

引き裂かれた仲良し姉妹、花見写真の2年後に[編集]

桜をバックにポーズを取る茉莉子さん(右)と瑠衣被告。「2001年4月8日」の日付がある(高松市内で)幼い頃には一つの布団で寄り添って眠り、少女時代には満開の桜を背景にVサイン

兵庫県尼崎市の民家で3人の遺体が見つかり、多数の行方不明者も出ている事件に巻き込まれた高松市の一家の親族宅には、長女仲島茉莉子さん、次女角田瑠衣被告の姉妹を中心に一家の日常が切り取られた500枚以上の写真が残る。

自宅前で幼い茉莉子さんが乗ったおもちゃの車を押す瑠衣被告、高松市の名勝・栗林公園で撮影した家族4人の記念写真など、カメラ好きだった一家の父親(60)が撮りためていた。

花見に出かけた際に撮られたとみられる桜の写真には、「2001年4月8日」の日付が残る。その約2年後に角田美代子らが入り込み、一家は崩壊。姉妹は引き裂かれ、茉莉子さんは兵庫県尼崎市の民家から遺体で見つかった。

尼崎連続変死「娘ら捜して」と父が警察に懇願も…「まずは働いて」と職安紹介[編集]

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、主犯格とされる角田美代子元被告(64)=2012年12月に自殺=らに離散を強いられた高松市の一家の父親、谷本明さん(61)が2度にわたり、美代子元被告をめぐるトラブルを兵庫県警尼崎東署に相談していた。同署は捜査していなかった。

県警には美代子元被告らをめぐって約10件の相談や通報があった。県警は谷本さんらに当時の対応に関する検証結果の報告を始めており、近く公表する。

谷本さんらによると、美代子元被告らは平成15年2月ごろから半年間、谷本さん宅に居座り、家族間での暴力を強要。遺体で見つかった長女の仲島茉莉子さん=当時26歳=らを尼崎市内に連れ去った。

谷本さんは平成16年2月ごろ、尼崎東署から「谷本さん名義の車が放置されている」と連絡を受け、同署を訪問。美代子元被告の義理のいとこ、李正則(38)=殺人罪などで起訴=に盗まれたと被害を訴えたが、署員は「身内の話」と対応しなかった。

同年9月には再び同署を訪れ、美代子元被告の自宅マンション名を伝えて「娘らを捜してほしい」と訴えたが、「まず仕事が必要」と職業安定所を紹介されただけだった。

谷本さんは「茉莉ちゃんらは帰ってこない。警察が動いてくれたら2人は助かったかもしれない」と話した。谷本さん一家をめぐっては、茉莉子さんの友人が平成18年に県警明石署に相談をしていたが、対応されていなかった。

茉莉子さん救出訴えに署員「ただの友達でしょ」[編集]

兵庫県尼崎市の連続変死事件で、同市の民家から遺体で見つかった仲島茉莉子(まりこ)さん(死亡当時26歳)が角田美代子元被告(自殺、当時64歳)らに連れ戻される際、県警明石署に助けを求めた友人女性に対し、県警が「同署員が対応しなかったのは不適切だった」と認めて謝罪していた。

女性は茉莉子さんと2年余り、飲食店の同僚で、「私たちの訴えを警察が真剣に聞いてくれれば、茉莉子ちゃんを救えたかもしれない」と悔しがった。

女性によると、茉莉子さんと知り合ったのは2004年8月、大阪府内の飲食店だった。茉莉子さんは約5か月前から働いており、2人はすぐ打ち解け、一緒に買い物へ出掛けたり、神戸市の中華街・南京町などへ遊びに行ったりした。

「家族から逃げてる。連れ戻しに来るかもしれない」。2006年12月、思い詰めた表情の茉莉子さんから運転免許証の更新手続きに付き添うよう懇願された。もう一人の友人と「電車ではすぐ逃げられない」とレンタカーを借り、同月18日、兵庫県明石市運転免許更新センターに3人で行った。

だが、講習室を出た茉莉子さんの前に美代子元被告と妹角田瑠衣被告(27)(殺人罪などで起訴)、男3人が立ちふさがった。瑠衣被告が以前、警察に「姉が来たら教えてほしい」と頼んでおり、同センター経由で連絡が入ったとみられる。

茉莉子さんは観念したように「内々の話やから帰って」と言い、瑠衣被告らと近くの喫茶店に入った。

女性ら友人2人は近くの明石署へ駆け込み、刑事課で

「家族がやくざみたいな人と友達を連れ去ろうとしている。友達はかなりおびえている。今なら間に合うから来てほしい」

と涙ながらに訴えた。だが署員は

「あなたたちはただの友達でしょ。家族が一緒だから大丈夫じゃないですか。帰ってもらえますか」

と言うだけだった。同署から戻る途中、踏切の一時不停止で取り締まられた際も警察官2人に訴えたが、「担当外なので」と対応を拒否された。

「生き残った者として話す」茉莉子・瑠衣姉妹「父」の叫び(2014年2月)[編集]

仲島茉莉子さんと妹の角田瑠衣被告の写真を前に父親の男性は悲痛な思いを語った。

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件は兵庫、香川、沖縄の各県警の合同捜査本部が解散し、捜査が終結した。8人が犠牲になり、今も3人が行方不明、逮捕者が10人に上った一連の事件は、主犯格とされる角田美代子=当時64歳=が自殺するなど異例の展開をたどり、いまだ「謎」を残したままだ。家族をバラバラにされたうえ殺され、娘2人が犠牲者と加害者に分かれるなど想像を絶する苦難を味わった男性(62)が、改めて事件への思いを語った。

男性は、犠牲となった仲島茉莉子さん=当時26歳=と、殺人罪などで起訴された角田瑠衣(28)姉妹の父親。一連の事件では、元妻の皆吉初代さん=当時59歳=と、兄の谷本隆さん=当時59歳=も亡くした。

「茉莉子さんのお父さんですか?」。男性はうなずいた。「事件のことは思い出したくない。でも、生き残ったものとして話そうと思う」。そう言って重い口を開いてくれた。

男性は以前、高松市内で保険代理店を経営し、元妻の初代さんと長女の茉莉子さん、次女の瑠衣被告の4人で平穏に暮らしていた。だが平成15年2月、男性宅に美代子らが男性のおいの李正則(39)=殺人罪などで起訴=の世話をめぐって乗り込んできて、一家の生活は崩壊した。

連日深夜3時まで「家族会議」として話し合いをさせられ、親族間の暴力を強要された。生活費などとして毎日のように数万~数十万円ずつ要求され、所持金がなくなると、近所をかけずり回って現金を集めた。

軟禁状態の男性は仕事もできず、初代さんとの離婚を強要された。「茉莉ちゃんは暴力と空腹と恐怖で次第におかしくなっていった。幼かった瑠衣ちゃんは、次第に美代子元被告らに取り込まれていった…」

何日も続く異常な生活。「このままでは死んでしまう」。すきを見て初代さんと茉莉子さんを逃がし、自分も逃げた。15年8月のことだ。

男性は友人宅を転々としながら、1年後の16年8月に尼崎市にたどり着き、偽名で生活を始めた。尼崎に戻ってきた美代子らにいつ見つかるかという恐怖もあったが、「家族に会えるかもしれない」との思いから離れられなかった。

美代子らに見つからないよう夜にだけ行動し、茉莉子さんや瑠衣被告を捜した。美代子の自宅近くまで行くこともあったという。

「みんなどこかで生きているはず。また家族で暮らしたい」。そんな思いから2DKのマンションを借り、茉莉子さんらの部屋を用意した。

事件は平成23年11月、尼崎市でドラム缶に入った大江和子さん=当時66歳=の遺体が見つかったことで表面化した。男性は、事件を報じる新聞の切り抜きを手に検察庁に駆け込んだ。「似たような事件があったんです」。その後、美代子元被告らによる事件が次々と明らかになっていったが、まさか茉莉子さんが死んでいるとは想像もしなかった。

平成24年10月に尼崎市の民家の床下から茉莉子さんと兄の隆さんの遺体が発見され、初代さんも亡くなっていたことが判明。瑠衣被告は逮捕された。「加害者と被害者の父になってしまった…」家族や兄を助けられなかった自分を責め続けた男性だが、一方で「生き残ったものとして、やるべきことがある」とも思うようになった。

「お父さん、お誕生日おめでとう」。2014年の男性の誕生日に瑠衣被告から弁護士を通じ、祝いの言葉が伝えられたという。瑠衣被告にとって、生き残った家族は男性だけ。「瑠衣が、何があったか正直に話していると聞き、安心した」。男性はそう話す

今後、開かれる裁判員裁判で、すべてが明らかになることを願う。だが、それは、瑠衣被告が加害者である現実と正面から向き合うことでもある。「瑠衣も最初は被害者だった。でも、やったことに関してはきちんと裁判で明らかにして、罪を償ってもらわなければいけない」

高松から逃げ出した後、茉莉子さんや初代さんの行方は知らなかったが、その後の捜査で、茉莉子さんが2度、尼崎の美代子宅から逃げ出していたことが分かった。平成16年から約2年間、大阪府内でアルバイトをしながら暮らしていたことも分かり、当時の友人らに話を聞くこともできた。

一方、初代さんは和歌山県内のホテルで住み込みの仲居として4年間働いていた。「茉莉ちゃんや初代が、美代子元被告たちから逃げて、幸せに暮らした時間があったと知ってうれしかった」。男性は涙ぐんだ。

最近は、茉莉子さんの知人らから当時の話を聞く機会があるという。茉莉子さんの友人からもらった写真には、カラオケや居酒屋で楽しそうに笑う茉莉子さんの姿があった。男性は「家族の空白の時間を埋めたい」との思いが募るという。

2014年3月13日、兵庫県警などの捜査本部は解散した。これまで延べ約8万人の捜査員を投入し、犠牲者8人の事件を立件。神戸地検はこのうち茉莉子さんや初代さんら6人について、美代子の親族ら10人を殺人や傷害致死罪などで起訴した。しかし男性の義理の母、皆吉ノリさん=発見時88歳=ら2人の死亡については、時効成立などで不起訴となった。

「法律上では不起訴になっても、犠牲者は犠牲者。罪は罪だ。みんな理不尽な殺され方をして、怒りや悔しさは収まらない」。男性は強い口調で話した。

当時の警察の対応についても、不信感は消えない。兵庫県警は平成25年4月、美代子らによる暴行や監禁で離散に追い込まれた男性の一家ら3家族について、被害親族や友人らから尼崎東署など5署に計10件14回の相談・通報があったが、このうち6件10回で適切な対応をとらず、事件を把握する機会を逸していたとの検証結果を公表した。

この中には、男性や茉莉子さんの友人らが訴えた6件10回の相談・通報も含まれるが、県警は家族内でのトラブルを理由に取り合わなかった。「きちんと対応してくれたら助かったかもしれない」。男性は悔しさをにじませる。

もちろん、「ここまで事件を明らかにしてもらい、刑事さんたちにはお世話になった」と感謝の気持ちもある。だからこそ「この事件を教訓に、警察には市民の助けを求める声をきちんと拾い上げてほしい」と願う。

男性はこうも言う。「世間にとって事件は過去になるが、被害者には終わりがない。マスコミも、事件が起こったときにだけ報道するのでなく、同じような事件が起きないよう、よりよい社会をつくるための取材をしてほしい」。報道する側にとって重い言葉だ。