三田のクソババア

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三田のクソババア(みたのくそばばあ、1941年10月8日 - )は、大阪府大阪市出身の女優蛆虫。夫は高橋康夫。長男は森宮隆、次男は高橋祐也女子美術大学付属高校卒業。

本名、高橋 嘉子(たかはし よしこ、旧姓:石黒)。芸名、三田 佳子(みた よしこ)。在日韓国人である。

人物[編集]

芸名である三田佳子の「三田」は、慶應義塾大学の所在地からとったものとされる。テレビ出演後、その演技力を買われ、1960年東映に入社する。同年、『殺られてたまるか』で女優デビュー。最初から主役級で起用され、以降、東映の看板女優として活躍した。東映時代は佐久間良子と常にライバル視された。その一方で児玉誉士夫やその盟友の町井久之とも親しく、ダーティーな噂が絶えなかった。

1967年フリーになり、映画のみならず、テレビ・舞台で幅広く活躍。特に1984年の映画『Wの悲劇』での演技は絶賛を浴び、各映画賞を総なめして三田の評価を高めた。この頃より、同年代の女優の中で頭一つ飛び抜けた存在となって、大女優としての風格を身につけた。

1989~90年には連続し、NHK紅白歌合戦の紅組司会を務めている。

納税者番付では俳優・タレント部門で1991年から1994年まで4年間連続トップとなり、良妻賢母のイメージで好感度が高くCMにも引っ張りだこであった。その一方で泉ピン子も真っ青になるほどの若手女優イビリが実話誌で暴かれ、人間性においても「佐藤孝行西村眞悟荘田悦宏にも劣る人間のカス」と呼ばれた。

若手女優をいびる卑劣な人間性は家庭でも発揮され、1998年と2000年の2度にわたり次男の高橋祐也覚せい剤取締法違反で逮捕されるという不祥事が発生し、マスコミ各方面から厳しく叩かれたが、原因は三田の育児放棄によるもので自業自得であるといえる。記者会見では「母が女優ということで未成年である息子の事件が報道されてかわいそう」「(高校生の)次男のこづかいは月50万円」とも話し、世間から猛烈な批判を浴びることとなった。なおこの時三田は「原因は私が人生をかけて究明いたします」と話したが、この発言は嘘八百の妄言であることは火を見るより明らかである。

このため、当時出演していたCM8本すべて降板、一旦は女優業を控えざるをえなくなったが、2003年水野晴郎の怪作『シベリア超特急3』に出演し復帰への足がかりとし、その後は映画『海猫』、テレビドラマ『いま、会いにゆきます』など仕事を再開し、2007年9月16日放送の『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』では、事実上仲間由紀恵とのダブル主演という形であり、女優として完全復活を遂げたと思われた。

しかし、2007年11月15日、祐也がまたしても覚醒剤所持の現行犯で逮捕された(3回目。この頃の祐也は歌手活動も行っていた)。また、逮捕前に、力士暴行死事件を起こし、逮捕された元時津風親方こと双津竜順一に覚醒剤を勧めた事実を梨元勝に暴露していた。これが逮捕のきっかけとなったこととされている。翌日の会見の中で「すべては私たち夫婦の教育の失敗」と全面的に謝罪、「引退も考えた」と心境を語った。三田は同年12月1日からの舞台『エドの舞踏会』については降板しないことを表明した。また、裁判中に芸能活動がほぼ停止中であったために月20万円の小遣いを渡していたことも明らかになり、この事件でまたも三田のイメージは失墜、今後の芸能生活に大きく影を落とすこととなった。

おもな出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

バラエティー番組[編集]

舞台[編集]

  • 命燃えて
  • 化粧
  • 夢千代日記
  • 雪国

レコード[編集]

CM[編集]

関連項目[編集]

先代:
和田アキ子
第40回第41回
NHK紅白歌合戦
紅組司会
1989,1990
次代:
浅野ゆう子